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この世はマッチョで溢れている:クレマンティーヌ・オータン『子どもと話す マッチョってなに?』

 フェミ友だちと話すとき、「マッチョ」という言葉をしばしば使うことがある。「私あの人苦手」「あいつマッチョだしね~」という感じで使う。

ここで言う「マッチョ」とは、筋肉モリモリの人、という意味ではない。はっきりとした定義はないし、本とかで読んだこともない。だから感覚的には分かるしどういう意味かは私と友人とで共有しているものはあるのだろうけど、言葉にするのは難しい。「マッチョ」とは(悪い意味で)「男らしい」男性、自分の男性性に無自覚な男性のことを指して、私はこの言葉を使っている。

攻殻機動隊S.A.C.の第3話くらいで、少佐も「やっぱりマッチョじゃない」とか言っていたので、知ってる人は知ってるのかと思っていたけれど、研究室の同期の男友だちに「マッチョ」の意味について何回説明してもピンと来なかったりもするので、分かる人は分かるし、分からない人は分からない言葉なんだろうと思う。

クレマンティーヌ・オータンの『子どもと話す マッチョってなに?』は、そんな「マッチョ」の意味を解説してくれる本だ。「子どもと話す」とあるけれど、本書はクレマンティーヌと弟のアルバンの対話形式で書かれている。アルバンがフェミニズムに関する事柄について質問し、クレマンティーヌが説明する、という形式だ。

この本によれば、「マッチョ」とは「男は女より上なんだと主張したり、女に対して支配者のように振る舞ったりする人」(p.10)、「自分は女を従わせるんだと公言してはばからない人」「性差別的な言動を異常なほど繰り返す人」「女性を性の対象としてしか見ないような言葉を繰り返し吐く」人のことだという(p.13)。

理論的には「マッチョな女性」がいることもありえるけれど、「マッチョ」という言葉は「男性のある種の言動を指して使」われる。それは「女性はマッチョの被害者ではあっても受益者ではないから」だ(p.18)。このことを裏返せば、「マッチョ」に振る舞うことは男性にとっては未だに利益になるということでもある。

「支配者のように振る舞う」ことや「女を従わせること」、「性差別的な言動」を文字通り受け止めると、「今どきそんなやつおらんやろ」と思うかもしれない。でも、そういった振る舞いや言動は、今でも十分、日常に溢れていると私は思う。

話を聞かない人とか、自分の話ばっかりする人、意見を押しつけてくる人。あるいは女性の前で後ろめたさもなく風俗の話をしたり、男性だけが笑える下ネタを話したりする人。コミュニケーションの場で、こういう振る舞いをされると、私はもう会話の中に入っていけない。はっきりとした差別発言じゃなくても、女性を会話からソフトに排除する方法はいくらでもある。本人がどこまで意識してやっているかは別として。そして私は、そういった些細に見える事も性差別だと考えている。

本書は「マッチョ」とはなにか、以外にも、フランスのフェミニズム事情や男女平等政策の話が書かれている。「マッチョ」って言葉はフランスでも使われていることを考えると、女の言葉・女の経験はローカルでもあり、グローバルでもあるんだなと思う。

ここまでの文章を読んで、「そんなこと言われたら何も言えなくなるじゃないか」と思った人はたぶん、「マッチョ」な人です。

 

子どもと話す マッチョってなに?

子どもと話す マッチョってなに?

  • 作者: クレマンティーヌオータン,Cl´ementine Autain,山本規雄
  • 出版社/メーカー: 現代企画室
  • 発売日: 2014/06/10
  • メディア: 単行本
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