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綴る

日々のあれこれ、これまでと、これからと

卵巣がんになったときの話⑤

卵巣がん

手術から1回目の抗がん剤投与を経て退院して以降、毎月1週間入院して抗がん剤投与をし、2,3日は自宅療養をし、その後は登校するという生活を半年続けた。秋くらいになると、2代目のウィッグを着用するようになった。新しいウィッグは人毛でできており、ゆるいパーマがかかったセミロングのものだった。ナイロンと比べて人毛は柔らかく、手触りが全然違った。

入院したり登校したりを繰り返す生活は、とくに不便なことはなかった。ただ、白血球が減少する時期に、一度だけ期末テストが重なってしまったことがあった。私はマスクをつけて、保健室でテストを受けたりしていた。

年度末になると出席日数がぎりぎりであることが判明した。留年するかもしれないということは、とても不安だった。みんなと一緒に卒業したかった。部活の顧問の先生にその不安を伝えたら、そんなことは絶対させないと言ってくださった。心配事を話せる先生が身近にいてくださるということは、本当に安心できることだった。

私は入院のために授業を受けられない日が多かったけれど、その間、成績を落とすようなことはなかった。日本史のクラスで一番よい点数をとったこともあった。それらが幸いしてか、補習を受けることで、留年しなくてもよくなった。いろんな先生に配慮してもらい、学校からも理解を得られたことは本当に助けになった。そのことは今でも感謝している。

半年に渡る抗がん剤治療が終わると、あとは数ヶ月に1回、血液検査をしたりCTをとったりする程度で、もうほとんど普通の生活になった。新しい学年になると、髪の毛も徐々に生え始め、ウィッグを付けずに登校できるようになった。生えてきた髪の毛と残っていた髪の毛を美容院で調整してもらった。ベリーショートで私の好みの髪型ではなかったけれど、美容師さんに「かわいい」と言ってもらって嬉しかった。なにより、地毛で暮らせることはやっぱりとても快適だった。髪の毛は、その後1年もするとボブくらいの長さにまで伸びた。

採血とCT検査を受け、薬を処方してもらうために病院に定期的に通いながら、私は大学受験を終え、高校を無事に卒業することができた。手術と抗がん剤治療で入院していた時のクラスの思い出はほとんどないし、クラスに誰がいたかはあまり覚えていない。けれども、部活の友だちや担任・副担任の先生、部活の先生など、私の事情を理解して気にかけてくれた人たちが学校にいたことは、私にとっては大きな心の支えだった。