綴る

日々のあれこれ、これまでと、これからと

誰にでもいい顔する人は

私は八方美人な人が嫌いだ。八方美人な人は、誰の話も平等に聞き、それなりの理解を示してはくれる。しかし、味方になってくれることはほとんどない。話を聞いてくれて、共感を示す言葉をかけてくれるから、その人のことを信じていろいろ話をしたけれど、他の人がいる別の場面では以前言ってたことと全然違うことを言うとか、全くフォローしてくれなかったというようなことを、最近いくつか経験した。

八方美人な人が嫌いなのは、「裏切られた」とは思わないけれど、自分が相手に期待していたことがそうはならなかったことへの失望だけではなく、私自身がそういう風にうまく立ち振る舞うことができないから、単純に羨ましく思っているのだと思う。

私は普段、感情の波がほとんどない。基本的に低空飛行だ。その代わりに、本当に心の底から楽しいと思ったときは物凄くテンションが上がるし、本当に怒りを覚えたときは自分でも怒りの感情を抑えきれなくなって、攻撃的な口調になったり、怒っていることが露骨に態度として出てしまう。私は怒る機会の方が少ないが、以前、どうしても腹が立つことがあり、3日間くらいそのことでずっとイライラしていた。私は一度怒り始めると結構長く怒る人だったんだなと、その時はじめて思った。

八方美人な人を観察する中で気づいたのは、そういう人たちは普段から感情を気軽に表現しているということだ。普段は明るくて話してて楽しい人だし、割りとちょっとしたことでも怒って、それを口に出している。

こういう風に、普段から自分の感情が表現できているから、意見の異なる人と出会ったときに、自分の感情を少し抑えて、相手に合わせたり譲歩したりしながら、話し合うことができるのだと思う。

でも、私は感情を抑えていることがデフォルトになっているから、考え方が違う人と話していて嫌だなと思ったり、そういった人から否定的なことを言われると、逆に我慢することができない。もういいやと投げやりな態度を取ってしまったり、つきあい続けることがしんどいから距離を置くようになり、結局孤立していく。日常的に押さえ込んでいるものをさらに押さえ込むということは、私にとってはこれ以上耐え切れないことだ。

私が勝手に期待して、勝手に裏切られたと思って、勝手に落ち込んでるだけのこと。だから人に何かを期待したり、自分のことを代弁してもらったりフォローしてもらうという甘い考えを止めたらいい。これまで何度もそう考えてきたけれども、どこかでやっぱり人を信じたい、この人なら力になってくれるんじゃないかと思ってしまう。八方美人な人たちは、どうやってそのバランスを取っているんだろうか。