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綴る

日々のあれこれ、これまでと、これからと

卵巣がんになったときの話③

卵巣がん

手術後一向に退院できなかったのは、摘出した卵巣の細胞を調べていたからだったらしい。結果から言うと私は卵巣がんだったが、このときはまだ卵巣膿腫だと伝えられていた。担当医から伝えられたのは、変な形の細胞が見つかったから、念のために抗がん剤治療をする、ということだった。髪が抜けるのは嫌だったが、当時の私は仕方がないことだと思って割とすんなり治療の決定を受け入れてたように思う。

抗がん剤治療の最初のクールが始まった。相部屋のベッドで点滴をした。最初ということで、母と担当の医師、看護師さんがしばらくの間付き添っていた。人によっては強い副作用が出るので念のために様子見をするのだと、母と医師が話していたその時、視界の中に無数の赤黒い斑点のようなものがパチパチと見え始め、次の瞬間、一気に呼吸ができなくなった。

意識も朦朧としていたので詳しくは覚えていないが、抗がん剤の投与を止め、代わりに別の点滴がなされていた。私はベッドごと相部屋から個室へと移動させられた。移動してる間、点滴が物凄い勢いで落ちていたことと、なぜか靴下を足を使って脱いでいたこと、そして驚いた母が廊下で涙ぐんでいたことを覚えている。

個室に移り、処置をしてもらって、容態は落ち着いた。夜、顔を洗って鏡を見たら、呼吸できないときに力んだせいか、目の周りが内出血して、小さな赤紫の斑点がそばかすのようにたくさん出来ていて気持ち悪かった。

この出来事は、私と、そして母にとって今でもトラウマとなっている。私は、ショック症状を引き起こしてから、薬を飲むのが怖くなった。通い慣れた信頼している病院で処方してもらったものや、いつも飲んでる市販の薬以外のものは、怖くて飲めない。副作用をネットで調べて、アナフィラキシーになる可能性が僅かでもあることが書かれていると、もう飲めない。今ここで薬を飲み、昔のようにショック症状が出たら、私は誰にも知られずに、もがき苦しみながら死んでしまうのではないかと思ってしまう。高熱が出て救急にかかり、頓服薬を出されたが怖くて飲めず、結局市販の風邪薬で3日間過ごしたこともあった。

他方で、毎年、私がショック症状を起こした時期が近づくと、母は突然この時のことを思い出してしまうらしい。呼吸ができなかった私の顔は赤黒くなっていたそうで、そのことがいつまでたっても頭から離れないのだそうだ。何が起こったのか半分くらい分からなかった私に比べて、一連の顛末を客観的にすべて見ていた分、母の方がダメージは大きかったのだと思う。がん治療には本人だけでなく、家族への精神的なケア、それも、術後何年経っても蘇ってきてしまう辛い記憶に対するケアも必要なのだ。しかし、そうしたケアは地方に住んでいるとなかなか受けられない。

翌日、病院内の皮膚科にかかり、目の周りの内出血を治す薬を処方してもらった。歩く分には全然問題なかったが、念のためということで、看護師さんに車椅子で連れてってもらった。人に押してもらって車椅子で移動することは、楽でとても楽しかった。