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綴る

日々のあれこれ、これまでと、これからと

卵巣がんになったときの話②

吐き気がひどかったのは手術した日の夜だけだったが、術後、私は微熱がなかなか下がらなかった。担当医からは、このまま微熱が引かないようであれば内診をする、と言われた。今でもそうだが、内診は不快だ。母に伝えると、いつもおっとりしている母は厳しい顔つきでナースセンターへ行った。当時、私はまだセックスをしたことがなかったので、母は私の「貞操を守る」つもりだったのだろう。でも私はそんなことはどうでもよく、医療行為とはいえ、人に性器を見られることが単に嫌なだけだった。

微熱は1週間ほど続いたが、次第になくなっていった。食事もおかゆから白米へと戻っていった。縫合したお腹は痛かったが、一人で髪や体を洗うこともできるようになっていった。病室も個室から相部屋へと戻った。しかし、一向に退院できる気配はなかった。

私は反抗期らしい反抗期があったわけではなく、普段から感情の起伏もあまりない。怒る、悲しい、楽しい、嬉しい。そういった感情はもちろんある。でも、その感情はあまり外から見ると分からないらしい。私自身、いろんな感情をどうやって表現したらいいのか、どうやって伝えたらいいのか、未だによく分からない。

しかし、手術が終わったのに退院できないという状況は、相当なストレスだった。ある日、母がいつものように面会に来た時に、「家に帰りたい」と伝えた。まだ無理なんじゃないかなと、母にやんわり却下された時、私は思わずキレてしまった。私は家に帰りたい、なぜ帰れないのかと母を問い詰め、面会に来てくれた母に対して「帰れ」と怒鳴ってしまった。母は帰って行った。おしゃべりしていた他の患者さんたちも黙りこみ、病室は気まずい空気になってしまった。

その日の夕方、外来を終えた担当医の先生が部屋に来た。母との一件を耳にしたのだろう。入院が長引いて辛いだろうけど、当たるならお母さんにではなく、僕に当りなさい、そう言ってくれた。この言葉は今でもよく覚えている。患者としてではなく、未成年ではあるがひとりの人として、先生は私に向き合ってくれたのだと思った。

結局、私の我慢が爆発したため、その週末には外泊許可が出て、家に帰ることができたのだった。私の入院生活は1か月になっていた。