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綴る

日々のあれこれ、これまでと、これからと

卵巣がんになったときの話①

卵巣がん

私は16歳のときに卵巣がん(正確には境界性悪性腫瘍)になった。

卵巣がんは自覚症状がほとんどないという。私の場合、高校の部活が終わったある日、体操着から制服に着替えていたときに、普段より少しスカートがきつく感じたことがきっかけだった。最初は太ったのかなと思った。でも、お腹の様子が単に脂肪がついて三段腹になったというのではなく、内臓脂肪がついてお腹がスイカのように張ってる状態だった。

 地方に住んでいたので病院の数も少なく、どこに行けばいいのか分からなかったため、母とかかりつけの内科にまずは行った。エコー検査を受けたらお腹に水が溜まっているらしい、という結果だった。その病院ではそれ以上精密な検査ができないということだったので、市立の総合病院へ行った。

婦人科にかかることになったのだが、どういう経緯でそうなったのかは思い出せない。エコー検査の他に、CTやMRIを何回か撮った。卵巣が大きくなっており、摘出する必要があるということだった。伝えられた病名は、卵巣腫瘍だった。お腹に溜まった水を調べるために、局部麻酔をかけてお腹に注射針を刺し、直接中の水を抜くという検査もした。注射器の中に茶色い液体が吸い上げられたのをよく覚えている。この検査だけは痛くて嫌だった。

この間、激しい運動をすると卵巣がねじれて痛くなる可能性があるということだったので、体育の授業は休んだ。体育が苦手だったので、ラッキーと思った記憶がある。

手術日が決まり、入院することになった。高校の授業に遅れないよう、私は全科目の教科書と参考書・ノートを病室に持ち込み、とくにすることのない昼間は教科書を読んで自分で勉強を進めていった。分からないところがあると、お見舞いに来てくれた友人に教えてもらった。

毎日毎日、勉強ばかりしている私に対して、看護士さんや同室の患者さんからは、「少しは休んだら」とか、「進学校に行ったって今コンビニの店長してる人もいるからそんなに勉強してもムダだ」というような皮肉も言われたりした。でも、誰がなんと言おうが勉強は止めなかった。授業に遅れたくない、良くも悪くも、そのことしか私の頭にはなかった。

手術の2日前、手術担当の看護士さんが病室に来た。緊張し過ぎないように、手術する部屋で好きな音楽をかけてくれるという。好きな歌手は誰かと聞かれたので、私はZARDが好きだと伝えた。当日、麻酔で意識がなくなるまでのわずかな時間、手術室には「負けないで」がかかっていた。励まそうとしてくれる気持ちは伝わったが、なんだかあからさまな選曲で少し恥ずかしくなった。

手術は昼過ぎに始まり、意識を取り戻した頃にはもう夜になっていた。病室へ運ばれる途中で目が覚め、両親と祖母がいることに気づいた。大丈夫だということを示すために、私は足を上げてみせたりしてた。

戻ってきた病室は6人部屋ではなく個室だった。栄養剤か何かの点滴をずっと受けたが、それが合わなかったのか、私はその夜、ずっと吐き気がとまらなかった。手術に向けて断食状態だったので、胃液しか出なかった。吐き出せるものがないことは、こんなに苦しいことなのかと思った。