綴る

日々のあれこれ、これまでと、これからと

占いに励まされている話

昨年にようやく博士号を取得し、4月からポスドク生活を送っています。有り難いことに、任期付きではありますが常勤の職もいただきました。雑務をこなし、学生や教職員への対応をし、毎週授業をし、その合間に研究をするという生活をここ1年ほどしています。

非常勤で授業をいくつもかけ持ちして生活している方も少なくない中で、贅沢な悩みだとは思いますが、学生生活が長かった=社会人であったことがなかった私にとって、働くということは本当に大変なことなのだと実感する毎日です。そもそも毎日決められた時間に決められた場所に行くということ自体に未だに慣れないという。お恥ずかしい話です。どこまでが過去の病気のせいなのか分かりませんが、体力が人よりも無いためか平日帰宅したらヘトヘト。土日も休むことに精一杯です。今の同僚の方はお子さんがいらっしゃるのですが、これに家事・育児が加わり、かつ、配偶者が非協力的だと本当にしんどいだろうなと思います。

任期が終わったら次の職を得られるのだろうかという不安で時々ものすごく落ち込むことがあります。先日、美容院に行った時にファッション雑誌の占いコーナーをちらっと読みました。学問=科学に従事しているにもかかわらず、私は占いが好きです。占いの結果をそのまま信じている、というわけではないのですが、将来良いことがあると書かれていれば、少し心が落ち着き、そうした不安から一時的に解放されるような気がするからです。占いとはしんどい時をやり過ごすひとつの方法なのだと思います。

ちなみに、対面の占いもよく行きます。だいたいどこも10分1000円とかで、お財布には決して優しくはない額なのですが、飲み会代と同じくらいの金額で少しでも元気になれるならいいかなと思っています。占いにもいろんな種類がありますが、中でもタロット占いが好きです。タロットは不思議なもので、良い結果の時は青とか白とかのきれいな色のカードが場にでますし、悪い時は赤や黒などのおどろおどろしい色のカードが並びます。見ていて楽しいです。

また、タロットカードにはひとつひとつ意味がつけられているわけですが、人間関係や仕事など、お客さんの決して十分には与えられない情報をもとに占い師がカードの意味を即興で、お客さんの悩みに即して解釈していく過程はまるで職人芸のようでとても面白く感じられます。

で、先ほどの雑誌の占いコーナーですが、こんなことが書かれていました。不安になるということは、気持ちが将来に向かっているということで今を見ていない、大事なのは今だと。今があるから未来がある。今の自分が恐れている将来を回避するためには、今と向き合い、今ここで頑張らなきゃいけない。なんのことはない、言われるまでもなくその通りだ、と思う話かもしれませんが、不安な気持ちになってしまうのは今の状況とちゃんと向かい合っていないからなんだなぁとなんだか納得してしまいました。

しんどいしんどいだけで任期が終わってしまうのはもったいないですし、学ぶことを学び、地道にこつこつと、適度に休みつつ、過ごしていけたらと思えるようになりました。

多汗の季節に開き直る

ここ数年、夏にかく変な汗に悩まされている。私はもともと汗っかきで、小学校の時も夏に家に帰ってくると、背中に汗をびっしょりかいて、ランドセルの形になっているような子だった。

でも最近悩まされている汗は、そういう汗とは違う、変な感じがする汗だ。その汗は、頭からしか出てこない。頭の毛穴から一度に大量の汗が出て、しばらくすると引いていく。頭皮から出た汗は、顔の輪郭を伝って首まで流れ、ひどいときは髪の毛の先もびしょびしょになることもある。

常にこういった汗をかいているわけではないので、日常的に不便さを感じているわけではない。この汗は何なんだと思って、どういう時に変な汗が出るのかを思い返してみると、早足で駅やバス停に向かい、電車やバスを待っている時や、服屋や雑貨屋などで、オレンジがかった強めの照明がつけられている時などに、比較的変な汗が出る気がする。

また、焦っているというか、テンパッてる時ほど変な汗はなかなか引かない。「こんなに汗かいてて変な人だと思われたらどうしよう」「あの人あんなに汗かいてると思われてるかも」というように、汗をかいている自分を見る、他の人の目を意識し過ぎている時ほど、汗は引くのが遅い。

以前、一瞬だけ通っていた、なんとなく相性が良くない心療内科で相談したこともあった。卵巣がないからホルモンバランスが崩れているのではないか、自律神経が乱れているのではないかなど、原因と思われる事柄をいくつか指摘された。太っているせいもあるかも、と言われた。でも、ウォーキングをして5キロ落とし、今年の夏を迎えたけれど、そんなに変わらなかった。

卵巣がんの経過観察のために通っている婦人科で相談した。私は卵巣がんになってからかれこれ10年ほど、エストロゲンの補充療法をしている。お腹に薬剤の入ったシールを貼るだけのものだが、長期間この方法でエストロゲンを補充しているので、血中濃度が一定ではなくなっているのかもしれない、それで更年期障害のような状態になっているのではないか、と言われた。

説明された内容をすべて理解できたわけではないけれど、この説明が一番しっくりきた。エストロゲンの量を増やすという方法もあるが、血栓が出来やすくなるから避けたいとのことだった。多汗については、対処療法でうまく付き合っていくしかないのだと言われ、私は久しぶりに、健康な体がほしいと思い、少し落ち込んだ。

主治医からこう言われたら、もうそうなんだ、多汗は仕方のないことなんだと思うようになり、自分なりに工夫するようにしている。だいたいどんな時に汗がひどくなるか分かっているので、例えば、電車やバスに乗るときは余裕を持って出かけるとか、汗が出始めても焦らないようにするとか。そもそも、人間は汗をかく生き物だし、汗かかないよりかいた方がマシだろうと開き直るようにした。

今年の夏も私はよく変な汗をかいているけれど、どういう時に汗が出るのかを把握して、それにどうやって対処できるかがなんとなく分かってきたし、心の持ち方が落ち着いたこともあって、これまでのように外出がそんなに苦ではなくなった。 

 

この世はマッチョで溢れている:クレマンティーヌ・オータン『子どもと話す マッチョってなに?』

 フェミ友だちと話すとき、「マッチョ」という言葉をしばしば使うことがある。「私あの人苦手」「あいつマッチョだしね~」という感じで使う。

ここで言う「マッチョ」とは、筋肉モリモリの人、という意味ではない。はっきりとした定義はないし、本とかで読んだこともない。だから感覚的には分かるしどういう意味かは私と友人とで共有しているものはあるのだろうけど、言葉にするのは難しい。「マッチョ」とは(悪い意味で)「男らしい」男性、自分の男性性に無自覚な男性のことを指して、私はこの言葉を使っている。

攻殻機動隊S.A.C.の第3話くらいで、少佐も「やっぱりマッチョじゃない」とか言っていたので、知ってる人は知ってるのかと思っていたけれど、研究室の同期の男友だちに「マッチョ」の意味について何回説明してもピンと来なかったりもするので、分かる人は分かるし、分からない人は分からない言葉なんだろうと思う。

クレマンティーヌ・オータンの『子どもと話す マッチョってなに?』は、そんな「マッチョ」の意味を解説してくれる本だ。「子どもと話す」とあるけれど、本書はクレマンティーヌと弟のアルバンの対話形式で書かれている。アルバンがフェミニズムに関する事柄について質問し、クレマンティーヌが説明する、という形式だ。

この本によれば、「マッチョ」とは「男は女より上なんだと主張したり、女に対して支配者のように振る舞ったりする人」(p.10)、「自分は女を従わせるんだと公言してはばからない人」「性差別的な言動を異常なほど繰り返す人」「女性を性の対象としてしか見ないような言葉を繰り返し吐く」人のことだという(p.13)。

理論的には「マッチョな女性」がいることもありえるけれど、「マッチョ」という言葉は「男性のある種の言動を指して使」われる。それは「女性はマッチョの被害者ではあっても受益者ではないから」だ(p.18)。このことを裏返せば、「マッチョ」に振る舞うことは男性にとっては未だに利益になるということでもある。

「支配者のように振る舞う」ことや「女を従わせること」、「性差別的な言動」を文字通り受け止めると、「今どきそんなやつおらんやろ」と思うかもしれない。でも、そういった振る舞いや言動は、今でも十分、日常に溢れていると私は思う。

話を聞かない人とか、自分の話ばっかりする人、意見を押しつけてくる人。あるいは女性の前で後ろめたさもなく風俗の話をしたり、男性だけが笑える下ネタを話したりする人。コミュニケーションの場で、こういう振る舞いをされると、私はもう会話の中に入っていけない。はっきりとした差別発言じゃなくても、女性を会話からソフトに排除する方法はいくらでもある。本人がどこまで意識してやっているかは別として。そして私は、そういった些細に見える事も性差別だと考えている。

本書は「マッチョ」とはなにか、以外にも、フランスのフェミニズム事情や男女平等政策の話が書かれている。「マッチョ」って言葉はフランスでも使われていることを考えると、女の言葉・女の経験はローカルでもあり、グローバルでもあるんだなと思う。

ここまでの文章を読んで、「そんなこと言われたら何も言えなくなるじゃないか」と思った人はたぶん、「マッチョ」な人です。

 

子どもと話す マッチョってなに?

子どもと話す マッチョってなに?

  • 作者: クレマンティーヌオータン,Cl´ementine Autain,山本規雄
  • 出版社/メーカー: 現代企画室
  • 発売日: 2014/06/10
  • メディア: 単行本
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「おめでとう」って言わない

私の周りでは、もう第三次結婚ブームが訪れている。第一次は中学の時の友だちで、彼女たちは高校を卒業して就職し、2,3年たってから結婚した。第二次は大学までの友だちで、彼女たちは大学を卒業して就職し、2,3年たって結婚した。そして今の第三次結婚ブーム。大学を卒業して就職し、5年以上たち、就職先で順調にキャリアを積み、あるいは転職したりして落ち着きはじめた友だちが、結婚するようになっている。

SNSのタイムラインには、結婚しました、結婚します、という報告がしばしば見られるようになり、「いいね!」がたくさんついていたり、「おめでとう~☆」というコメントが書かれ、ひとつひとつのコメントに「ありがとう」と律儀に返事をする友人もいる。

結婚することを報告されたとき、私はいつも何て返事したらいいのか分からず困る。「おめでとう」と返すのが常識だけれど、結婚することがなんでそんなにめでたいのかが分からない。特定の人(しかも日本では異性に限定されている)と生活を共同する契約を結ぶことが、なぜめでたいのか。男性だったら一人前の「男」になれたから?女性だったら、生活が安定するから?それとも、「愛する人」が見つかったからだろうか。

「おめでとう」って言いにくいなと思い、「おめでとう」ではない他の言葉はないか常々考えているのだけれど、結婚した/することに対して「おめでとう」以外に言える言葉は全くといっていいほど存在しない。私としては、「へーそうなんだ」とか「よかったね」くらいがちょうどいい。けれど、こんなことを言ったら、きっと私は冷たい人だと思われるだろう。「おめでとう」と、全力で祝うことが求められているのだ。

大切な友だちが、嬉しいと思っていることを、私も喜びたいし、その気持は共有したいと思っている。でも、私が「おめでとう」と言いにくいのは、結婚することは女性にとってももう人生のゴールではないし、結婚したら女性の負担が大きくなることを知っているからだ。

相手とうまく生活し続けられるのならば、それはそれで充実した日々を過ごせると思う。でも、相手とずっとよい関係でいられるかどうかなんて、分からないじゃないか。何かのきっかけで、相手がDVになることだって十分にある。

結婚するまでにも大変なことがあると思うけど、結婚することよりも別れることの方が難しいしエネルギーを多く使う。離婚が大変なのは、相手との話がもつれるから、子どもがいるから、経済的に不安定になるから、といった理由だけではないと思う。パートナーやライフスタイルを、自分で選んできたということの重みや、多くの人に結婚を祝ってもらったという事実、そういったものがプレッシャーになって、離婚しにくくなるんじゃないだろうか。

もしDV被害に遭っていた場合、離婚できない、逃げられないということは、命にもかかわるほど深刻な問題だ。DVまでいかなくても、パートナーからちょっとひどいことを言われ、嫌な思いをし続けていても、その日々が決して満足できるものでなくても、離婚できないから我慢してしまう。

社会の中の「結婚」の意味づけは、重すぎる。結婚はそこから何か新しいものが始まるスタート地点ではなく、いろんな出来事と同列のただの通過点や、あるいは選択肢のひとつ、のようなものでいいと私は思っている。だから私は、今度結婚するよーと教えてくれた友だちに、「おめでとう」とは言わない。生活環境が変わればつきあいかたも変わらざるを得ないこともある。でも、結婚してもしなくても、あなたはあなた。あなたが私にとって、大切な友人であることは変わらない。

 

長子長女の憂鬱

となりのトトロ』を見る時、私はいつもサツキちゃんに物凄く感情移入する。メイがトウモロコシ抱えて走り出せばもうイライラが止まらない。一人でお母さんの病院まで行けるわけないのに、なんであんたは勝手に行こうとするのか。迷子になったらどうするのか。みんなに迷惑かかるじゃないかと。メイに言いたいことは山ほどある。

私は長子長女だ。そして、息子のように育てられた長女だ。両親から、親戚から、いろんなことを期待されてきた。私自身も、その期待に応えようとしてきたし、応えられたときに褒められることは嬉しかった。

私の友だちは、長子長女の子が多い。長子長女の人は、なんとなく波長が合うような気がする。どこか落ち着きがあって、責任感のある人。全体を見渡しながら行動する人。もちろん、一人っ子の友だちや、次女・三女の友だちもいる。彼女たちは好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと、はっきりしているし、そのことを気軽に言う。自分の思うように行動する。付き合いにくいなと思うこともあるけれど、自分と真逆のタイプだからこそ、面白いやつだと思って長い付き合いになることも多い。

どこまで長子長女のせいなのかは分からないけれど、私は家族でも、何かのグループででも、「私が最後の防波堤にならなければ」と、気づいたら思っている節がある。だから、損な役回りを引き受けてしまうことも多い。自分が嫌ならば距離を置けばいいのに、変な責任感から一度関わったら最後まで関わってしまうし、困ってる人から物を頼まれたら断れない。ついつい人の面倒を見てしまう。もうこれは長子長女の呪いだと思う。

以前、居酒屋で飲んでいた時、隣の席のカップルの会話をたまたま耳にしてしまった。女性の方は妹らしく、姉の愚痴を言っていた。「お姉ちゃんはいいよね、親の敷いたレールの上を走って行けばいいだけだから」と。妹には妹の苦労があるのだろう。でも、親がおそるおそる敷いた、どこに行くのか、無事にたどり着けるのかも分からないレールを、一番最初に走るということも、大変なことなんだよ。